Zumba?(ズンバ)のサルサの曲
Zumba(ズンバ)のサルサ(Salsa)の曲の一覧です曲名、動画、歌手?バンド名、リリース時期など。CD(Zinとメガミックス)またはネット配信(Zin-NOW)で採用された音楽をリストにまとめています(田副暢宣事務所)
レコード会社「ファニア?レコード」
1964年。ジョニー?パチェーコとジェリー?マスッチらによるレコード会社「ファニア?レコード」がスタート そこから登場した新しい音楽のムーヴメントは、「何か噺しいピリッとしたもの」という意味を込めて「サルサ」と呼ばれるようになりました。
ファニア?オールスターズのコンサート
1968年、ニューヨークのレッドガーター
1968年6月8日、ファニア?オールスターズのコンサートがニューヨークのレッドガーターで開催されます その時点での演奏はまだデスカルガ的ではあるものの、何か新しい音楽が生まれようとしているムードに満ちています。
ニューヨークのクラブ?チーター
ドキュメンタリー映画『アワー?ラテン?シング』
そして、1971年8月26日、ニューヨークのクラブ?チーターで行われたファニア?オールスターズのコンサートでサルサはひとつの完成形をみます デスカルガを超えた新しい音楽であるこのライヴの模様は2枚組のアルバムとして、またドキュメンタリー映画『アワー?ラテン?シング』として発表されました。
ラテン界の「モータウン」と呼ばれる「ファニア」
エル?バリオから生まれたサルサの生々しい姿がそこにありますサルサの誕生宣言です。 これ以降、サルサはブレイクし、ファニア?オールスターズはその後、アメリカ国内はもちろんのこと、カリブ海諸国を始め中南米、アフリカや、日本などにもツアーサルサをニューヨーク圏外にも知らしめていったのです。
同時に「ファニア」はラテン界の「モータウン」と呼ばれるほど、サルサ~ラテンの名盤を続々と発表していきます
ブラック?イズ?ビューティフル
そうしたサルサのムーヴメントの裏には、當時のブラック?イズ?ビューティフルと同じようなスパニッシュ系の人々のアイデンティティの打ち出しもありました。
つまり、キューバ革命が起きたことによってサルサと呼ばれる音楽が生まれた、といえるかもしれません
サルサの音楽の源流のひとつは、キューバの「ソン」という音楽であるといわれています。 ソンは、キューバがスペインから独立した19世紀末頃に島の東にあるサンティアゴ?デ?クーバの街で生まれ、その後ハバナで発展しました
アフリカのリズムや詩がスペインのギターと組み合わさって発生した、うねるようなシンコペーションに基づいた歌とダンスミュージックです。当初はトレス、ギター、マラカス、クラベス、ボンゴ、ベースという編成で演奏され、後にトランペットが加わりましたソンの次にポピュラー音楽として、人気を博したのがルンバです。1920年代にラ?アバナでソンが流行し、1930年にドン?アスピアス楽団の「南京豆売り」がニューヨークで大人気やがてヨーロッパにまで飛び火します。その時、ソン(son)という名前がソング(song)と紛らわしいとのことで、ルンバ(rhumba)と呼ばれるようになりましたこのルンバは1930年玳を席巻するほどに大人気を博しました。ところで、このルンバは、キューバ国内で人気のアフロ色の濃いルンバ(rumba)とは別物で、ヨーロッパで流行したルンバはソンの変形です
ワワンコー(グァグァンコー)とヤンブー、コルンビア本来のキューバのルンバは、コンガなどの打楽器と歌で演奏される都市コミュニティの娯楽音楽。そのルンバの中で、ワワンコー(グァグァンコーともいう)とヤンブーは男女が踊るダンスミュージック、コルンビアは激しいリズムで男性が踊る音楽で、それらの複雑なシンコペーションのリズムはのちのサルサにも大きな影響を与えています
サロンからストリートへ広がるキューバ音楽
キューバ音楽は、いくつかのルートをたどってサロンからストリートへと広まりましたが、中でもコントラダンサ(英語ではカントリーダンス)とダンソンから、マンボ、チャチャチャへと行く流れは、特にはっきりとした経路のひとつです。
コントラダンサ(カントリーダンス)
アルゼンチン?タンゴの原形
18卋紀末にスペインなどから伝えられたコントラダンサが、アフロ系のリズムの影響を受けながら独自の発達をみせるようになり、19世紀末にババネラ(スペイン語でアバネーラ)が生まれましたこれはオペラ「カルメン」にも使用され、またアルゼンチン?タンゴの原形のひとつとなりました。これが前述のチャランガ編成で演奏されることによりダンソンという音楽へと発展していくのです
1940年代から1950年代にかけて一世を風靡したのがマンボです。ソンにアフリカ風のアクセントのファンキーなリズムを強調した、ソン?モントゥーノから発展したといわれます
ペレス?プラードの「マンボNo.5」
1940年代に入った頃からハバナの気鋭ミュージシャンたちが、仕事が終わったあとに集まって繰り広げたデスカルガを重ねる中から自然発生的に生まれてきました。1949年、ペレス?プラードの「マンボNo.5」が世界的に大ヒット、マンボは一大ブームとなりました
バイオリン奏者のエンリケ?ホリン
チャチャチャは、バイオリン奏者のエンリケ?ホリンが創始したマンボをスローにしてリズムをシンプルにしたダンスミュージック。リード?ボーカルとコーラスを導入1950年代のキューバで火がつきましたが、ニューヨークではさほどのブームにはなりませんでした。蛇足ですが、「おもちゃのチャチャチャ」という曲の「チャチャチャ」はこのことです
チャチャチャをファンキーに
パチャンガは、チャチャチャをさらにファンキーにしたリズムで、キューバで大流行しました。そして、このパチャンガの誕生と同時期にキューバ革命が起るのです
では、革命以降のキューバ音楽の変化をここでみてみましょう。
べージョ?エル?アフロカンによるモサンビーケ
1960~1970年代はキューバにおいて音楽的に模索の時代でした1960年代前半には、アフリカ系の文化が再発見され、べージョ?エル?アフロカンによるモサンビーケというリズムが大流行しました。
1960年代後半のキューバ
アフロ?キューバン?リズム
1960年代後半になると、ロックの影響からドラムセットを用いたアフロ?キューバン?リズムが大人気となりましたちなみにこのドラムセットは、ロス?バン?バンの発明したソンゴという新リズムから使われています。
キューバン?ジャズのグループ「イラケレ」
またロックだけではなく、ジャズの影響も大きかったです1973年結成のイラケレというキューバン?ジャズのグループは、その高レベルのテクニックとともに国内外で人気を呼びました。
1970年代末~1980年代のキューバ
ニューヨークのサルサバンドによるキューバ公演
また、1970年代末~1980年代にかけていくつかのニューヨークのサルサバンドによるキューバ公演が実現しており、キューバ音楽へ大きな影響を与えています
アダルベルト?アルバレス
アダルベルト?アルバレスはサルサを消化した現代嘚なソンを確立し、またオルケスタ?レベはチャングイというリズムを現代化し、それらは流行となりました。
1990年前後のキューバ
NG(エネへ)ラ?バンダ
1990年前後にはNG(エネへ)ラ?バンダが人気を集め、その後イサック?デルガードやチャランガ?アバネーラ、メディコ?デ?ラ?サルサ、クリマックス、バンボレオなど多くの新しいバンドが競い合っていきます
サルサ?ドゥーラ(ハード?サルサ)
それらはサルサ?ドゥーラ(ハード?サルサ)と呼ばれ、近年はさらに複雑で激しいリズムによってティンバという名前になっています。
ブエナ?ビスタ?ソシアル?クラブがグラミー賞受賞
一方、1997年にはライ?クーダーとの共演で伝統的なソンを演奏するブエナ?ビスタ?ソシアル?クラブがグラミー賞を受賞しました
注目を集めるキューバ音楽
そして、いま改めてキューバ音楽に世界中の注目が集まりつつあります。それがいまのサルサの隆盛とまったく無関係な話ではないはずです
サルサは変化しつづけてきた
1960年代末に生まれ、様々なスタイルを経て移り変わってきた音楽、それがサルサです。
国境や人種間のクロスオーバーを経て、サルサはこれから21世紀へ向けてどう変化していくのでしょう僕たち、サルサ?ラヴァーズ全員、大きな期待を込めていつまでも楽しみ続けていきたいと思います。
参考資料?出典:「ダンシング?サルサ」(アスペクト)
体験&チャレンジ キューバ生まれ「サルサ」
「サルサ」の愛好者が増加
キューバ生まれの音楽、「サルサ」に合わせて踊るラテンダンスの愛好者が増えている男女ペアで踊り、社交ダンスより、ぐっとくだけた雰囲気で楽しめる点が魅力らしい。東京都内ではサルサを教えるダンススクールやクラブが増加2001年夏に向け、一層の盛り上がりを見せている。
くだけた雰囲気が魅力 クラブ、スクールが増加
2001年3月までキューバに1年間、ダンス留学していた東京都中野区の会社員(32)がいう
音楽の中に、暮らしがある
愛情表現も、慰めるのもダンス
「あちらでは、サルサっていう音楽の中に、暮らしがある感じでした。子供からお年寄りまで、踊れて当たり前愛情を表現するのも、辛さを慰めるのもダンスだから」
男女がペアで踊るのが基夲
サルサは、キューバの民族音楽を源流とし、1960年代以降、アメリカに渡った移民たちの手で、ジャズやロック、ソウルなどと結び付けられ、形成されていったラテン音楽だ。これに合わせステップを踏むサルサ?ダンスは、男女がペアで踊るのが基本
東京?恵比寿のダンススクール
東京?恵比寿にあるダンススクール、スタジオ?ボデギータでは、1レッスンに20人以上の受講者が集まることも珍しくないという。中沢さんと一緒にレッスンに参加左右の足を交互に踏む基本ステップから習う。
足さばきや腰の動きはクイックでも、上半身はゆったり優雅に
「サルサは、『1?2?3?4』の4の部分をじっくりためるように踊ります腕は自然に振ってね」とアシスタントの女性。周りを見る限り、足さばきや腰の動きはクイックでも、上半身はゆったり優雅に振れている
キューバ人インストラクター、フランク?アベル
キューバ人インストラクター、フランク?アベルさん(30)は「日本人はシャイだけど、覚えが早いよ。女性は特にね」受講者の多くは20代後半から30代の女性。中高年も多く、夫婦で習う人もいる「ストレスを発散できるし、ラテン気質になるのか、夫婦ゲンカが減りました(笑)」と東京都目黒区の主婦(31)。
サルサはジャズダンスなどより習得しやすい
サルサ映画『ダンス?ウィズ?ミー』
サルサ情報誌『SALSA120%』編集部は「ここ1、2年『ダンス?ウィズ?ミー』のほか、サルサ関連の映画が続けて公開されたこともあり、知洺度が広がったジャズダンスなどより習得しやすい点も人気の要因」と話す。さらに「1996年、サルサを教えるダンサーは2人だったが、紟では東京都内で20人以上が教室を開講キューバ人の先生も8人ほど来日している」とも。
愛好者の拡大とともに、サルサを踊れる店も増加
六本木、ヴァージンカフェ
愛好者の拡大とともに、サルサを踊れる店も増加六本木には今や7軒のサルサクラブがひしめく。そのうちの1軒、ダンスレッスンも行っているヴァージンカフェをのぞくと、情熱的な音にのって、カップル同士が体を密着させてダンスセクシーだけど、楽しそうに踊る表情が印象的だった。
サルサとラテン音楽に関する年表
ラテン音楽パラダイス(日本放送出版協会)
ダンシング?サルサ(アスペクト)
米国ラテン音楽ディスク?ガイド 50's→80's(リットーミュージック)